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2015年2月28日土曜日

3月1日の礼拝案内

四旬節第2主日


主日の祈り
神さま。あなたは、み子の苦しみによって、死と辱めの十字架を、私たちの生きる支えにしてくださいました。私たちが主の十字架に栄光を見いだし、責めさいなむ痛みをも、み子のゆえに受け入れることができますように。あなたと聖霊と共にただ独りの神、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:創世記17171516()21
17:1アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。2わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」3アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。4「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。5あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。6わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。7わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。
15神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。16わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」

第二日課:ローマの信徒への手紙41325 ()278
13神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。14律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。15実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。16従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。17「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。18彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。 19そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。20彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。21神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。22だからまた、それが彼の義と認められたわけです。23しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、24わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。25イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

4:13 神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。
4:14 律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。
4:15 実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。
4:16 従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。
4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。

福音書:マルコによる福音書83138()77
31それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。32しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」34それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。35自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。36人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。37自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。38神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」


本日の讃美歌
はじめの歌239番|みことばの歌249番|
感謝の歌274番|聖餐の歌204番|終わりの歌336

説教題 「十字架に従う」 竹田大地牧師

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。


2015年2月20日金曜日

2月22日の礼拝案内

2月22日は、「ティーンズ進級・卒業祝福式」が礼拝の中で執り行われます。
子どもたちの一年の守りと、新しい門出に神様の祝福がありますようにと祈りを合わせてまいります。
どなたでも祝福に与ることができます。
小中高生のご子息、お知り合いとご一緒にいらしてください。
神様の御ことばにご一緒に耳を傾けてまいりましょう


四旬節第1主日

主日の祈り
聖なる天の父よ。あなたは洪水からノアたちを救い、荒れ野で罪の誘惑に立たれたみ子を守られました。洗礼の礼典によって私たちを新しくし、悪魔の試みに負けないよう、み使いを遣わしてお守りください。あなたと聖霊と共にただ独りの神、とこしえに生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
本日の聖書日課
第一日課:創世記9817()11
9:8神はノアと彼の息子たちに言われた。9「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。10あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。11わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。12更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」17神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

第二日課:ペトロの手紙Ⅰ31822 ()432
3:18キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。19そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。20この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。21この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。22キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。

福音書:マルコによる福音書1917()61
1:9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
12それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。13イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

16イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。17イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。

本日の讃美歌
はじめの歌23番|みことばの歌312番|
感謝の歌270番|聖餐の歌―番|終わりの歌403

説教題 「十字架への一歩」 竹田大地牧師

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年2月17日火曜日

灰の水曜日礼拝のご案内

明日は、四旬節のはじめの日「灰の水曜日」です。
四旬節とは、復活祭(イースター)の前日の土曜日までの40日間(主日を除く)を覚える期間であり、イエス様の十字架への道程を覚える時です。
そのはじめの日の礼拝を守ります。

棕櫚の葉を灰にし、それを礼拝の中で額に刻みます。
「あなたは塵から造られたのだから、塵に返ることを覚えなさい。」
という言葉と共に、心からの悔い改めをもって、イエス様の十字架に備えます。
この期間、お一人おひとりがイエス様の受難を思い起こし、克己して備えていきます。
例えば、この期間「肉を食べない」「お酒を飲まない」といったことから「毎日3回世界のために祈る」といったものまで様々です。



2月18日(水) 19:00~19:30です。
どなたでもお越しください。
ご一緒に神様の恵みに与り、イエス様の十字架へ備えてまりましょう。

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年2月10日火曜日

2月15日の礼拝案内

主日の祈り

全能・永遠の神様。山の頂きに輝いたあなたのお姿は、私たちの心を照らします。み子によって私たちを新たにし、み旨に従って世界を照らしてください。あなたと聖霊と共にただ独りの神、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:列王記下2112()577
2:1主が嵐を起こしてエリヤを天に上げられたときのことである。エリヤはエリシャを連れてギルガルを出た。2エリヤはエリシャに、「主はわたしをベテルにまでお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません」と答えたので、二人はベテルに下って行った。3ベテルの預言者の仲間たちがエリシャのもとに出て来て、「主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか」と問うと、エリシャは、「わたしも知っています。黙っていてください」と答えた。4エリヤは、「エリシャよ、主はわたしをエリコへお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません」と答えたので、二人はエリコに来た。5エリコの預言者の仲間たちがエリシャに近づいて、「主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか」と問うと、エリシャは、「わたしも知っています。黙っていてください」と答えた。6エリヤはエリシャに、「主はわたしをヨルダンへお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません」と答えたので、彼らは二人で出かけて行った。7預言者の仲間五十人もついて行った。彼らは、ヨルダンのほとりに立ち止まったエリヤとエリシャを前にして、遠く離れて立ち止まった。8エリヤが外套を脱いで丸め、それで水を打つと、水が左右に分かれたので、彼ら二人は乾いた土の上を渡って行った。9渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。」エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と言った。10エリヤは言った。「あなたはむずかしい願いをする。わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない。」11彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。12エリシャはこれを見て、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。

第二日課:コリント信徒への手紙二436 ()329
4:3わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。4この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。5わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。6「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。

福音書:マルコによる福音書929()78
9:2 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、3服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。4エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。5ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」6ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。7すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。8弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。

本日の讃美歌
はじめの歌184(Ⅱ編)|みことばの歌125番|
感謝の歌494番|聖餐の歌203番|終わりの歌294

説教題 「イエスに聞く」 竹田大地牧師
諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年2月5日木曜日

2月1日の説教

主日の祈り
憐れみと慈しみに溢れる神様。あなたは宇宙のすべてをみ光で包み。み子を顕してくださいました。私たちに壊れたところがあれば元通りに、さ迷うときにはあなたの真理を聞かせ、あなたが創られたすべての いのち に、やがてみ子を受け入れるときがきますように。救い主、イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:申命記181520()309
18:15 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。16このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。17主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。18わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。19彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。20ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」

第二日課:コリント信徒への手紙Ⅰ8113 ()308
8:1 偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。2自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。3しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。4そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。5現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、6わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。7しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。8わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。9ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。10知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。11そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。12このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。13それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。

福音書:マルコによる福音書12128()62
1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。23そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

【説教】
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日読まれた福音書において私自身説教を準備するにあたって非常に印象に残る言葉がありました。それは、「驚く」という言葉です。
そこで、この二つの驚くという言葉について調べてみますと、これは二つとも違う言葉を用いて「驚く」という言葉が表現されています。
22節に出てくる「驚く」は、「仰天する」とか「雷に打たれる」という意味における驚きを表現する言葉が使われ、27節における「驚く」は、「ものが言えないほどびっくりする」「驚き其の物」を現す言葉が使われています。
両者において似たような意味に捕えることもできますが、しかしながら、果たしてこの「驚く」という事がらにおいて、同じような思いで会衆はイエスの出来事に居たのでしょうか。

この事がらから語りかけている福音とは何でしょうか。今日は、このことについてご一緒に御ことばに聴いてまいりたいと思います。
さて、イエスが居たのは、カファルナウムと言われているガリラヤ湖畔の町でした。エルサレムから遠く離れた場所です。先々週のナタナエルの物語からも明らかなように、「ガリラヤから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)という言葉にあるようにイスラエルの中でもさほど重要でない地方の町でした。

イスラエルの中心は、なんといってもいつの時代もエルサレムです。エルサレムこそが、宗教的にも、政治的にも中心地です。特に宗教的な見地からするならば、ユダヤ教にとっても、イスラム教にとっても、キリスト教にとっても重要な地として覚えられ続けます。これ以降、エルサレムをめぐって宗教的な争いがあるのは、この故でしょう。

そういった当時のイスラエルの情勢から言っても、このカファルナウムという町は誰からも注目を集めるような場所ではありませんでした。おそらく、そこに居たのは、一般的な人々であり、慎ましく暮らしていたことでしょう。
そのような町へイエスは、弟子たちを従えてやって来たのです。そして、ユダヤ教の律法にあるように、安息日に会堂へと入り、礼拝をしようとしていたのでしょう。

始めに会衆たちが驚いたことは、イエスの教えが、律法学者のようではなく、権威ある者として教えたからでした。この区別が重要であると思います。
と、言いますのも律法学者とは、あくまでも律法に精通した、極端な言い方をすれば物知りです。もともとは、祭司という特権的な階級の人々に対して、一般の信徒が律法を学び、詳しくなっていた人々が集団化し、律法学者となったにすぎません。ですから、そこには、他の一般的な信徒からは、律法のことを知っているのですから尊敬はされるでしょうが、本当の意味での権威はありません。
しかしながら、この時会衆の目に映ったイエスの姿は、そういう物知りと言うレベルを超えて、権威そのものを有している者として映ったのです。

何か自分の知識を武装するために、自分で学んだとか、身に着けたのではなく、完全にその人自身の内からあふれ出る力に圧倒されたということでしょう。
この力を敏感に感じ取った人が居ました。それが汚れた霊に取りつかれている人です。
そして、イエスに向かって「神の聖者だ」とハッキリと言うのです。この時会堂に居た人々は、イエスの権威ある教えについて驚いていました。それはまさに、先に述べたように「仰天する」「雷に打たれる」ほどの衝撃を受けていたにすぎません。ですから、イエスご自身が誰であるかということについてまで、思いが至らなかったのです。

しかしながら、ここで明らかにされたことは、イエスが「神の聖者」であるということです。
人々は、ただただ驚くことしかできなかった、いわばこの人はどのような人であるのか分からなかったにもかかわらず、汚れた霊は、イエスが誰かということを知っていたのです。
人には、まだ分からなかったことが汚れた霊には知られていたのです。しかしながら、イエスは、このことをまだ良しとしませんでした。イエスの権威が明らかにされてなお、この時は、まだ彼が神の子であり、救い主であることを明らかにする時ではなかったのです。
だからこそ、「黙れ、この人から出て行け。」と命じられたのです。

そして、この出来事が二つ目の驚きを会衆たちに与えます。この出来事に際して、人々は「これはいったいどういうことなのだ」と論じ合います。この箇所については、私なりに訳しなおしてみますと、「この新しい権威ある教えは何なのだ?」となります。
あまり意味が変わらないように見えますが、しかしながら、断定と疑問ではかなり意味合いが変わるように思います。すなわち、彼らは、イエスが汚れた霊を追い出したことが、新しい権威であることは間違いないわけですが、先にも述べましたように、それでも尚、会衆たちがイエスの権威がどこから来るものであるのかということが分かっていないのです。

しかしながら、私たちは、この権威が神にあるということを知らされています。
それは、イエスが宣教を始められる前にサタンから誘惑を受けた場面から想定することができます。と、言うのも、この世における権威や力が、サタンと言う者からではなく、神から来るのだということを明らかにしているからです。イエスはこの時、「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』と書いてある。」(ルカ4:8)と語られているように、あらゆる権威や力は神から来るのだということを明らかにしています。

すなわち、イエスに顕されている権威や、力は他の何ものにもよらず、自分で手に入れたのでもなく、神から来るのだということです。
この事がらによって、イエスの様々な教えは、新しい教え、権威として響く神の御心、み旨として私たちに語りかけるのです。
だからこそ、イエスの御ことばはそれまでの、自分の知識や、常識から私たちを解放し、私を造り変え、私を新しくし、それまでの古い生き方を捨て、新しい生き方へ押し出す力となるのです。

よくクリスチャンは、人に優しくするとか、損得を考えないで働くという評価(?)をされますが、それは正しく解釈するならば、それをするのは私ではなく、このイエスの権威、力によって変えられたからに他なりません。
この世の事がらや常識にとらわれるならば、色々と損得を勘定し、働いてしまいます。しかしながら、私たちはもはやイエスの御ことばによって古い自分は、十字架に張り付けられ、死にました。
そして、復活によって新しいいのちに生きる者とされています。

ですから、私たちは、単純にすごい教えだ、見たことも無い力だといって驚くのではないのです。私たちは、私たち自身がイエスによって作り変えられ、新しい復活のいのちに生かされていることに驚きたいのです。
それまでの古い自分にではなく、神によって新しくされている恵みに与っていることの驚きに満たされていることを心から実感していきたいと思うのです。
そして、それが日々の御ことばとの出会いの中で更新され続けているのです。

そして、新しくされた私たちは、御子イエスから与えられるこの恵みを告げ知らせる者として立てられています。イエスご自身この権威を自分の中に留めているのでなく、多くの人々に告げ知らせ、癒し、慰め、励ましてくださったように私たちもまたこの神から与えられている恵みを人々に喜んで分け与える者なのです。
だからこそ、先に述べたような評価になるのでしょう。しかしそれは、まだ本当に神を現したことになりません。ただのいい人です。その先にあるイエスの御姿を顕さなければならないと思うのです。私たち自身が主を顕す者として立てられているのですから、いい人で終わるのでなく、「それはね。イエスがこう語られているから、こうしてくださったから」と証ししていきましょう。

宣教の御業は、クリスチャンは良い人で終わるのではなく、イエスご自身を宣べ伝えることにあります。このことを一人ひとりが心に留め、御ことばが人々の心に行きわたり、すべての人が新しい権威のもとにある恵みを感じられる豊かな歩みとなるように働いてまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00

 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2月8日の礼拝案内

主日の祈り
神さま。あなたは弱い者を強くし、よろめく人を支えてくださいます。私たちを、あなたの癒しといのちを伝える者として、福音の喜びを世界の隅々に告げ知らせるために、お遣わしください。救い主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
本日の聖書日課
第一日課:イザヤ書402131()1125
21お前たちは知ろうとせず聞こうとしないのか/初めから告げられてはいなかったのか/理解していなかったのか、地の基の置かれた様を。22主は地を覆う大空の上にある御座に着かれる。地に住む者は虫けらに等しい。主は天をベールのように広げ、天幕のように張り/その上に御座を置かれる。23主は諸侯を無に等しいものとし/地を治める者をうつろなものとされる。24彼らは植えられる間もなく、種蒔かれる間もなく/地に根を張る間もなく/風が吹きつけてこれを枯らす。嵐がわらのように巻き上げる。25お前たちはわたしを誰に似せ/誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。26目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方/それぞれの名を呼ばれる方の/力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。27ヤコブよ、なぜ言うのか/イスラエルよ、なぜ断言するのか/わたしの道は主に隠されている、と/わたしの裁きは神に忘れられた、と。28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神/地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく/その英知は究めがたい。29疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。30若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが31主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

第二日課:コリント信徒への手紙一91623 ()311
9:16 しかし、わたしが呼びかけても返事はなさるまい。わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。17神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ/理由もなくわたしに傷を加えられる。18息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。19力に訴えても、見よ、神は強い。正義に訴えても/証人となってくれるものはいない。20わたしが正しいと主張しているのに/口をもって背いたことにされる。無垢なのに、曲がった者とされる。21無垢かどうかすら、もうわたしは知らない。生きていたくない。22だからわたしは言う、同じことなのだ、と/神は無垢な者も逆らう者も/同じように滅ぼし尽くされる、と。23 罪もないのに、突然、鞭打たれ/殺される人の絶望を神は嘲笑う。

福音書:マルコによる福音書12939()62
1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。32夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33町中の人が、戸口に集まった。34イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。


35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。36シモンとその仲間はイエスの後を追い、37見つけると、「みんなが捜しています」と言った。38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

本日の讃美歌
はじめの歌310番|みことばの歌122番|
感謝の歌222番|聖餐の歌―番|終わりの歌161(Ⅱ編)

説教題 「宣教するために」 竹田大地牧師
諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。