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ようこそ日本福音ルーテル下関教会のHP兼ブログへお越しくださいました。

日本福音ルーテル下関教会は2015年に宣教100周年を迎えました。

ドイツの宗教改革者マルティン・ルターの流れをくむ伝統あるプロテスタントのキリスト教会です。

どなたでもお越しください。心より皆様のお越しをお待ちしています。

教会には聖書と讃美歌の準備がございます。どの集会も手ぶらでお気軽にお越しください。

マタイによる福音書11章28節
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

2017年4月21日金曜日

聖週間・聖金曜日礼拝説教

「十字架の恵み」

主日の祈り
憐れみ深い神様、御子は十字架に上げられ、全ての人々をご自身のもとへと引き寄せられました。キリストの御傷から生まれた私たちが、いつも御子のうちに憐れみを見出すことができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

詩編22編(旧)852
22:1【指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】
2わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
3わたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。

4だがあなたは、聖所にいまし/イスラエルの賛美を受ける方。
5わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。
6助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。

7わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。
8わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。
9「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」

10わたしを母の胎から取り出し/その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
11母がわたしをみごもったときから/わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
12わたしを遠く離れないでください/苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。

13雄牛が群がってわたしを囲み/バシャンの猛牛がわたしに迫る。
14餌食を前にした獅子のようにうなり/牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
15わたしは水となって注ぎ出され/骨はことごとくはずれ/心は胸の中で蝋のように溶ける。
16口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。

17犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。
18骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め
19わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。

20主よ、あなただけは/わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ/今すぐにわたしを助けてください。
21わたしの魂を剣から救い出し/わたしの身を犬どもから救い出してください。
22獅子の口、雄牛の角からわたしを救い/わたしに答えてください。

23わたしは兄弟たちに御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美します。
24主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。

25主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。
26それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
27貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。

28地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように。
29王権は主にあり、主は国々を治められます。
30命に溢れてこの地に住む者はことごとく/主にひれ伏し/塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。

わたしの魂は必ず命を得
31-32子孫は神に仕え/主のことを来るべき代に語り伝え/成し遂げてくださった恵みの御業を/民の末に告げ知らせるでしょう。
第一朗読:イザヤ書52:1353:12()1149
主の僕の苦難と死
52:13見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。
14かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように/彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。
15それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。

53:1わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
2乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
3彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
4彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。
5彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
6わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。
7苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を刈る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。
8捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。
9彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。
10病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。

11彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。
12それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。

第二朗読 :ヘブライ人への手紙4:14165:79()405
偉大な大祭司イエス
4:14さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。15この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。16だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

5:7キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。8キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。9そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり
福音書:ヨハネによる福音書18:119:42()203
裏切られ、逮捕される
18:1こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。2イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。3それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。4イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。5彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。6イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。7そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。8すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」9それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。10シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。11イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
イエス、大祭司のもとに連行される
12そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、13まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。14一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。
ペトロ、イエスを知らないと言う
15シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、16ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。17門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。18僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
大祭司、イエスを尋問する
19大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。20イエスは答えられた。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。21なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」22イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。23イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」24アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
ペトロ、重ねてイエスを知らないと言う
25シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。26大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」27ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。
ピラトから尋問される
28人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。29そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。30彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。31ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。32それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。33そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。34イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」35ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」36イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」37そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」38ピラトは言った。「真理とは何か。」
死刑の判決を受ける
ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。39ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」40すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。19:1そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。2兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、3そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。4ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」5イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。6祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」7ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
8ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、9再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。10こで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」11イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」12そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
13ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。14それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、15彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。16そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
十字架につけられる
こうして、彼らはイエスを引き取った。17イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。18そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。19ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。20イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。21ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。22かし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。23兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。24そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。25イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。26イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。27それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
イエスの死
28この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。29そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。30イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
イエスのわき腹を槍で突く
31その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。32そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。33イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。34しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。35それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。36これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。37また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。
墓に葬られる
38その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。39そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。40彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。41イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。42その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

【説教】
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

今日は、いよいよ主イエスが十字架の死を成し遂げた日を覚えています。この死は、主イエスの偉大さを表すにはあまりにもみすぼらしく、弱々しく映ります。救い主としてお生まれになった方が、死をもって救いを成し遂げるということは、私たち人間にとっては思いもよらない出来事だからです。
しかし、この死がこの世の何にも勝る力とみ旨とを表してくださいました。このことをみ言葉から聴く恵みを覚えつつこの時を過ごしてまいりましょう。

この受難の時主イエスはまさに「14かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように/彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。15それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。」とイザヤ書に預言されている方としてその時に臨まれました。

受難主日の時にも申しましたが、主は神の子であります。ですから、イエスに与えられた御力によって、救いを成し遂げることは容易にできたはずです。しかしイエスは、それは神の御心でないことを弁えていました。すべては、神のみ旨が成るために世に下り、人として生き、十字架の上に死んでくださったのです。
世に生き、このような苦難を味わってくださったのはなぜかというならば、「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」とヘブライ人への手紙で語られているように、主イエスは、祭司の中の祭司でした。

それは何ゆえか、祭司とは祭儀を司る大切な働きがあります。その中の一つに贖いの生け贄など、生け贄を焼いて献げる祭儀があります。これは普通、雌牛や仔羊、穀物など、律法に定められている物を献げ、祈りを献げるとあります。しかし、主イエスは、そのような仕方で、私たちを私たち自身の罪から贖い、執り成してくださったのではありません。
祭司として、私たち一人ひとりの罪や、弱さ、汚れ、邪な思いを見つめ、そして、その事がらに打ちひしがれ、挫ける私たちの心に深く共感と痛みを負ってくださったのです。

ピラトがそうであるようにイエスの中に罪をどうしても見出すことができなかったように、主イエスにはまったく罪がありません。そのような方であるにもかかわらず、その深い共感によって、私たちの罪からくるあらゆる悪を知り、ご自分のものとしてくださったのです。
そして、その罪の力、悪の力から私たちを完全に救い出すために、罪なきご自身の血をもって贖い、執り成し、私たちに神からの罪の赦しを明らかにしてくださったのです。

人はペテロがそうであったように信仰においても、思いにおいても、肉体においても弱く乏しい存在でしかありません。「あなたこそ、主メシアです」と言い表したペテロでさえ、この主の苦難を前にして躓き、主を否定しました。主は、このこともご存じでした。それは「三度わたしのことを知らないと言うだろう。」(マタイ26:34)と語られているとおりです。知らないとは、その対象とはまったく関係が無いということです。

聖書における「知る」という言葉が、神との関係に生かされているということですから、それは神との何の関係もないということです。ペテロは、門番の女中の「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」という問いに対して、彼の堅固に思い込んでいた信仰が、その根底から揺り動かされ、たった一人の女性の一声によって、主イエスとは何の関係もないと言ってしまったのです。
ここに人間の本質、本性があります。私たちは自分の思いで信仰者として在るという自負では、名もなき女中の一言でペテロがその根底からその思いが揺れ動き、崩れ去ったように、私たちの信仰ももし、自分の思いで信じているとするならば砂の上に立てた建物でしかないということなのです。

そういう人間の弱さを主の苦難の時に神はペテロを通して露にされました。「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」と力強く宣言し、主を主とすると告白しつつも、本当にその時には、揺れ動いてしまう信仰なのではないか。真実の信仰とは、主イエスに従い尽くすこと、神に従い尽くすことです。たとえ、それが自分の不利益や、究極死ということがらを迎えたとしても揺り動かされない信仰があるかと問われているのです。

そのような信仰は、私たちの内からは起こりえませんし、持つことは適いません。しかし、今日の祈りの中で「キリストの御傷から生まれた私たち」と語られているように、今や主イエスの十字架によって、私たちの信仰は、私たちの内からではなく、十字架から来て、与えられている賜物であることを明らかにしてくださっています。

「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。12それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。」と預言されているように、この主イエスによって私たちは私たちの罪が執り成され、贖われ、赦されているという驚くべき出来事に際しているのです。

私たちに何の見返りも求めず、生け贄を求めず、主なる神自らが、御子を罪人の一人として数え上げ、その罪の死によって、私たちの罪の贖いの生け贄としてくださり、その血をもって許してくださったのです。
この主イエスの受難によって私たちは生かされ、赦され、世に在って、類い稀な、世にはない恵みに与っているのです。この恵みがすべての者を生かし、喜ばせ、恵みに富ませてくださっています。
たった一人の人の死が、すべてを包み込み、神の栄光に与らせてくださっているのです。私たちはいただくばかりの者でしかありません。しかし、その神からの賜物が、世に在って、弱くとも強くし、乏しくとも豊かにしてくださるのです。

取るに足らない私たちが十字架の恵みに生かされていることに、全身全霊をもって感謝をし、この生かされている命を、真に人に仕え、世に仕え、神に仕えてくださった主イエスの模範に倣いながら歩んでまいりましょう。主イエスの十字架の死によってもたらされている恵みが今も生きて働き、私たち一人ひとりを救いの確信に至らせてくださったのですから、それを求め、惑い、悩み、苦しみ、悲しみ、揺れ動いている方のもとへこの福音を力強く告げ知らせてまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。