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2015年8月29日土曜日

8月23日の説教

説教題 「つまずき」

主日の祈り
神さま。あなたは、永遠の裁き主、正義を愛し、抑圧を拒まれます。あなたはそれらの実現のため、私たちを招いておられます。私たちに、流血と欲望の犠牲者たちの側に立つ勇気を与えて、あなたの僕や預言者と共に信仰の創始者であり完成者、イエス・キリストのみ足の跡を従わせてください。み子、救い主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:ヨシュア記24章1節-2節a&14節-18節
1ヨシュアは、イスラエルの全部族をシケムに集め、イスラエルの長老、長、裁判人、役人を呼び寄せた。彼らが神の御前に進み出ると、2ヨシュアは民全員に告げた。

14あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。15もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。16民は答えた。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。17わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。18主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」

第二日課:エフェソの信徒への手紙6章10節-20節
10最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。12わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。14立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、15平和の福音を告げる準備を履物としなさい。16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。17また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。18どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。19また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。20わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。

福音書:ヨハネによる福音書6章56節-69節
56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」59これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。
60ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。63命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」 イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、 『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」66このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。67 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

【説教】
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

本日与えられている福音の日課には、イエスに対する弟子たちの態度で二つの対照的な姿が示されています。
一つは、イエスのもとから離れ去った者たちと、ペトロの信仰告白に表されているようにイエスのもとに留まった者たちです。この出来事が示す神の福音とは何でしょうか。このひと時、ご一緒に神のみ言葉に耳を傾けてまいりましょう。

第一日課で読まれた聖書はヨシュア記からでしたが、この個所は、ヨシュア記のクライマックスであり、約束の地に入り、神と民たちとが契約を再び結ぶ場面です。
その中でヨシュアは、様々な地の神が居て、それぞれの民族に神が居るということを認めつつも、主なる神に仕えるということを表明します。すなわち、神の示された契約に従うということです。

私たちは、一人ひとりが主イエスのみ言葉によって救われた者です。これは個人的な出会いによるものでしょう。そのきっかけが何であれ、この出会いに込められている神のメッセージは、「私があなたを救う」ということです。
神との一対一の関係性の中で私という存在に神が信仰を与え、恵みを賜り、み言葉を聞かせてくださっているのです。私たちは、この神が生かし、助け導いてくださっていることを信じています。それは洗礼式での厳かな誓約の中で交わされた神との契約です。ですから、私たちは、神によってこの連続性の中で生かされていることを確信して歩んでいるのです。

そのような中で、私たちは、この神からの恵みを受けるだけかというならば、そうではありません。私たちは「仕える」という事柄を通して、神の宣教者としてこの世に在るのです。
もう一度、ヨシュア記に戻ってこの従うというヨシュアの告白に聞いていきたいと思います。この事柄においてヨシュアは「わたしとわたしの家は」と言っています。わたしが主に従うという事柄はわかります。信仰は神から与えられるもので、その恵みに対する応答ですから、それはキリスト者の一人ひとりが肝に銘じている事柄としてとらえています。しかし、ヨシュアはそれに「わたしの家」ということがらも付加しています。

この「家」という言葉は、アブラハムが神との契約の際に「わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」(創世記15:3)と語った時にも用いられている言葉です。この事柄からヨシュアの言葉を読み解くならば、それは継承を表す言葉であるといえます。つまり、ヨシュアは、自分に与えられた主なる神への信仰を継承していくという決心を表明しているということです。

すなわち、私たちは一人一人が神への信仰を表し、信仰者として祝福されています。そのような中で、同時に私たちは、この継承という事に取り組んでいくことが大切な責任として課されているのです。
私たちは、主なる神からの恵みを受けています。私たちは、神のみ前においては徹底的に受けるものでしかありません。しかし、この受けた物を自分のうちに留めるのではなく、それを世に証しし、人々にこの信仰を継いでいくことが一つの使命として与えられているのです。

仕えるということは、それは働くということですから、具体的な行動を伴います。イエスが、昇天の際に「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と命じておられることからも、私たちは恵みを受けるばかりではなく、具体的にこの世で働いていく使命が与えられているのは自明の事柄です。
しかしながら、神のみ言葉を述べ伝える中で私たちは、「弟子たちの多くが離れ去り」という現実を目の当たりにするのです。なぜならば、それはイエスのみ言葉が時にひどい話であり、つぶやかずにはいられなくなるからです。
ひどいという言葉は、固いとか、乱暴な、厳しいという意味があります。つぶやくとは、不平を言うとも訳すことができます。このことに表されているようにイエスのみ言葉は時として人をつまずかせ、落胆させ、不平をもたらします。

金持ちの青年が、イエスのもとを離れていったように、ラクダが針の穴を通るほうが易しいと言われるように、敵を愛せと言われるように、時としてイエスのみ言葉が私たちには理解に苦しむことがあります。そして、イエスから離れて行ってしまうこともあります。
救い主であるイエスご自身が語りかけてくださっているにもかかわらず、人は離れていくのですから、私たちにおいても同様でしょう。伝道するということは時として困難と、苦難とを伴うものなのです。

ましてや、イエスご自身が宣教されていた時にすらもそのようなことが起こったのですから、神のみ言葉、御救いを述べ伝えるということはいかに難しいことであるかということを思わされます。

翻って私たち自身この宣教するという事柄を考えてみますと、このことを通して、信徒の数を増やすことこそが正義であるかのように錯覚します。それは今の世においてもそうでしょう。右肩上がりであることがよいことであるかのように刷り込まれています。そうでなければいけない、そうじゃないものは不要なものであると思いがちです。

しかしながら、そのようなこの世の尺度、物差しで伝道という事柄、主に仕えていくということをとらえるのではないのです。私たちがこの世において神に仕えることができるのは、霊において生かされているが故です。それは、この世の尺度や物差し、常識の中で生きるのではないということです。あらゆる事柄において霊が働き、霊が導き、霊がなすべき事柄を成してくださるという信頼に基づいていくということです。
そのような中で対立は起こります。時として神のみ言葉が受け入れられないこともあります。しかし、「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」(ヨハネ15:20)と語られているように、世との間に隔たりは時として起こるのです。

そのような中にあったとしても私たちは、この主なる神が私たちを救いへと導き、良いもので満たしてくださるのだという信頼をもって歩んでいきたいと思うのです。
仕えるということは、時に困難さを思わせます。私たちにとっても時としてイエスのみ言葉が理解しがたく、固く、激しく、不平を言いたくなるようなこともあります。主のみ言葉に躓く弱い者です。
しかしながら、そのような中で私たちは、主に仕えていくという事を告白しました。主イエスの「すべての人に」というご命令を受け入れました。そして、何よりも主なる神は、他のどの民よりも貧弱であった人々を選び出し、約束の地に導きいれ、再び契約を結び、どの民よりも祝してくださいました。それは神の愛が根本にありました。神が愛するということによって、私たちは生かされ、祝され、恵みを与えられているのです。この神の愛に裏付けられて私たちは、宣べ伝えるのです。

そうであるならば、私たちは喜んでこの使命に励んでいきましょう。従うということは、神のために労するということであり、この弱い信仰の私に力を与えてくださいます。時に主から離れる人の多さに絶望を覚えることもあるでしょう。しかし、主の願いは、すべての人が救うことです。このことは変わりありませんし、必ず実現する事柄です。この神の思いに信頼し、私たちは具体的に一所懸命に働いていきましょう。福音が前進するように老いも若いもともに主のみ言葉に信頼し、礎にし歩んでまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


8月30日の礼拝案内

主日の祈り
全能、永遠の神様。私たちはあなたによって造られたにもかかわらず、ひ弱で大きな危険に遭うと、しっかり立っていることができません。たとえ罪ゆえに苦しむことがあっても、み子の勝利によって立ち上がらせてください。み子、救い主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:申命記4126-9()285
1イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。2あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
6あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。7いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。8またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。9ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、子や孫たちにも語り伝えなさい。

第二日課:ヤコブの手紙11727()421
17良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。18御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。19わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。20人の怒りは神の義を実現しないからです。21だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。22御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。23御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。24鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。25しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。26自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。27みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。

福音書:マルコによる福音書718,14-15,21-23()74
1ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。2そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。3――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、4また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――5そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」6イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。7人間の戒めを教えとしておしえ、/むなしくわたしをあがめている。』8あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
14それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。15外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」

21中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、22姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、23これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

本日の讃美歌
はじめの歌507番|みことばの歌303番|感謝の歌365番
聖餐の歌ー番|終わりの歌504番

説教題 「聴いて悟りなさい」 竹田大地牧師


諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌(教団讃美歌)は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※イザヤ書の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。
 ※羽仁もと子についての学びを続けています。

2015年8月10日月曜日

8月16日の礼拝案内

主日の祈り
変わることなく愛を顕される神様。み子は世にいのちを与える活きたパンとしてご自身をお与えくだくださいさいます。み子のご臨在を私たちに悟らせ、今もこれからもあなたに仕えることができるよう復活のいのちによって、強め、守ってください。救い主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:箴言916()1002
1知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。2獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え3はしためを町の高い所に遣わして/呼びかけさせた。4「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」意志の弱い者にはこう言った。5「わたしのパンを食べ/わたしが調合した酒を飲むがよい6浅はかさを捨て、命を得るために/分別の道を進むために。」
第二日課:エフェソの信徒への手紙51520()358
15愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。16時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。17だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。18酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
福音書:ヨハネによる福音書65158()176

51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」52それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

本日の讃美歌
はじめの歌23番|みことばの歌339番|感謝の歌332
聖餐の歌206(1,3,5)|終わりの歌275

説教題「真の食べ物、飲み物」 竹田大地牧師


諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌(教団讃美歌)は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※イザヤ書の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。
 ※羽仁もと子についての学びを続けています。