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2015年1月29日木曜日

2月1日の礼拝案内

主日の祈り
憐れみと慈しみに溢れる神様。あなたは宇宙のすべてをみ光で包み。み子を顕してくださいました。私たちに壊れたところがあれば元通りに、さ迷うときにはあなたの真理を聞かせ、あなたが創られたすべての いのち に、やがてみ子を受け入れるときがきますように。救い主、イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:申命記181520()309
18:15 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。16このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。17主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。18わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。19彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。20ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」

第二日課:コリント信徒への手紙Ⅰ8113 ()308
8:1 偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。2自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。3しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。4そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。5現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、6わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。7しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。8わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。9ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。10知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。11そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。12このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。13それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。

福音書:マルコによる福音書12128()62

1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。23そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。24「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」25イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、26汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。27人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」28イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

本日の讃美歌
はじめの歌27番|みことばの歌40(Ⅱ編)
感謝の歌87A|聖餐の歌204番|終わりの歌262

説教題 「主が語る」 竹田大地牧師
諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年1月26日月曜日

遅ればせながら






昨年のクリスマスの様子をお知らせいたします。
下関教会では、毎年待降節第4主日の日にクリスマスの祝会を礼拝後に開催しています。
シャローム会(女性の集まりの会)の皆さんの美味しい手料理と、有志の方がお料理を持ち寄ってくださいます。
祝会では、イエス様のお誕生をお祝いし、色々な出し物もあったり、プレゼントが配られたりと楽しい交わりのひと時をもちます。
これも、神様がイエス様をこの世界に送ってくださったからこその楽しい交わり、喜びの交わりです。神様に感謝ですね。

また、24日のクリスマス・イヴでは、夜の7時から礼拝が執り行われ、イエス様のご降誕をお祝いします。
ロウソクの灯りに照らしだされる礼拝堂は、幻想的で、厳粛な雰囲気を醸し出しています。
何よりも、私たちの真の光としてこの世にお生まれになったことを象徴しています。
馬小屋でお生まれになったこの小さないのちの光が、私たちのすべてを包み込み、心の暗闇も悲しみも、世の中も光で満たしてくださる救いの出来事を思い起こします。
当日は、本当に多くの方が礼拝堂に集い、イエス様ご誕生の恵みに与かることができました。

そして、礼拝後は、下関教会恒例の軽食タイムです。
毎年、カナッペを用意しています。
これもまた信徒の方々のご奉仕によって用意されて、礼拝に来られた方との楽しい交わりの時を用意してくださっています。
久しぶりに来られる方も、交わりを通して、親交を深める機会となっています。

昨年も、神様はイエス様の誕生を通して、本当に多くの賜物と喜びを私たちに与えてくださいました。
今年ももちろんクリスマスは祝われます。どうぞ今から(気が早い気もしますが)その日を待ち望んでくださればと思います。

写真は、信徒の中澤姉に撮影していただいた物を掲載しています。















1月25日の説教

本日の聖書日課
第一日課:ヨナ書315節、10()1447
1主の言葉が再びヨナに臨んだ。2「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」3ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。4ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」5すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
10神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

第二日課:コリント信徒への手紙Ⅰ72931 ()308
7:29兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、30泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、31 世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。

福音書:マルコによる福音書11420()61
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。16イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。17イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。18二人はすぐに網を捨てて従った。19また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、20すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

【説教】
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

先週のフィリポとナタナエルがイエスの弟子となった場面に続いて、今週は、ペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネがイエスの弟子となった場面から福音を聴いています。しかし、今日は、その前段に記されているイエスの宣教の始めの出来事から御ことばに聴いていきたいと思います。

さて、この福音書の御ことばを通して、私たちが理解することができる宣教の始めの出来事は、このヨハネが捕えられ、ガリラヤに行かれた時点からイエスの宣教の御業が始まったという事です。
そして、「時は道、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」という宣言をもって始められています。

この時、大切なことは、否応なしに神の福音を信じるということが先立つのではないという事です。
先ずイエスが語られたことは、「時が満ちた」ということです。
これは、私たちが経験する時の中でも秒針が時を刻んでいく、経過する時、流れゆく時ではなく、一瞬の決定的な時を示す言葉である「カイロス」という言葉をもって語られています。
すなわち、この宣言をもって神の福音が世界中の人々に告げ知らされているという事なのです。ですから、私たちが神を信じる時、福音を聴く時、悔い改める時、洗礼を受ける時、それらすべての時は、この神の決定的な時によってもたらされているという事です。

この事がらに立ってさらに述べるならば、私たちが悔い改めること、神を信じることは、私たちの決断、決意に寄与しないという事です。それらすべての出来事には、神の介入があり、神ご自身が刻んだ決定的な時が私たち一人ひとりを支配するのです。すなわち、私たちは神から与えられるその時によって、導かれているということです。

そのような事柄を明らかにされてイエスは「悔い改めて福音を信じなさい。」続けます。この決定的な時を通してまず私たちに命じられたことは、悔い改めです。
つまり、何か私の心にとって安心するから、耳触りが良いから福音を信じよう。それで、神が悔い改めを必要としているということではないのです。
まずもって、福音を信じるという事は、「悔い改め」ることから始まるのです。
このことを私たちは、深く今日心の内に留めることが大切なことであると思います。

私たちは、神に救いを見出します。神の平安がこの私を助けてくれたという経験をした方も沢山いると思います。しかしながら、なぜそのような思いを与えられたのかと言うならば、それは神がイエス・キリストをこの世に送って下さり、イエスが福音を宣べ伝え、十字架を負い、復活してくださったからにほかなりません。
そして、我々の中心は、この十字架にあります。このゴルゴだの丘に立てられた十字架にこそ、神の御救いの出来事のすべてが顕されているという事を忘れてはなりません。

そこでこのしるしを通して明らかにされることは、イエスが私たちの罪のために十字架に架けられたという事です。イエスは全く無罪であるにもかかわらず、そのことを厭わずに十字架を負い、ゴルゴだの丘まで担い、十字架に架かってくださったのです。
この神の出来事に照らされる時、私たち一人ひとりが露わにされることは、私は罪人であるという自己洞察です。そのような気づきを与えられて尚、罪人の私にもかかわらず神は、私という存在を罪の代償のゆえに十字架に架けるのではなく、愛する御子イエス・キリストを私の罪の代償として十字架に架けて、私たちの罪を贖ってくださったのです。
この神の愛によって私たちはキリストと一体となり、神の恵みに与る者とされています。

この世における様々な出来事に私たちは出会います。時に困難さや苦しみを味わいます。何故自分がこのような目に合わねばならないのかと思わされることもあります。
しかしながら、この神の愛に照らして考えるならば、イエスご自身も無罪であるにもかかわらず十字架に架かられた矛盾と痛みとを負ってくださったわけですから、この救いの出来事を通して、私たちの抱える思いに対して、ただただ上から恵みを注ぐだけにとどまらず、人間と同じ思いと痛みを負ってくださったという事が明らかになるのです。

すなわち、今日の福音は、イエスの宣教の始めの出来事とであると同時に、イエスの十字架を見つめる時なのです。
そして、そのことから導かれる事は、やはりこの十字架の前に私たちは悔い改めていくという事です。私の罪のために十字架に架かってくださった神の愛を前にして、自分を誇るのでもなく、この世にしがみつくのでもなく、神の愛により頼んでいくほかない弱く乏しい者であるという事を告白していくのです。

このありのままの自分を差し出すことによって、神ご自身ありのままの人間を愛してくださるのです。
だからこそ、イエスご自身罪人と同じように十字架に架かり、私たちと連帯してくださったのです。罪の無い方が罪を負ってくださったという大いなる恵みに私たちは生かされているのです。
このことを忘れ、自分が罪の無い人のように振る舞うならば、イエスの十字架は無価値なものとなります。
私たちは、徹底的に罪人でしかない。だからこそ、悔い改め、自分の正しさ、強さを誇るのではなく、ただ神に帰する信仰をもって歩んでいくのです。

「時は満ち、神の国は近づいた。」とイエスが語られているように、神の国は既に私たちのもとに近づいています。遠い出来事ではなく、実現した救いとして私たちは、この恵みに与っています。
この恵みとは、イエスの十字架に示されている愛によって明かされ、今、私たちの救いのしるしとして今ここに立てられています。
この神の出来事を通して神ご自身が私たちの避けどころとなってくださいます。罪の脅威から、悲しみから、痛みから、思い悩みから解放してくださり、私たち一人ひとりを福音を宣べ伝える者として召し出してくださっているのです。弱く乏しい私たちを豊かな御恵みによって、神の福音を顕かにするという驚くべき働きに参与する力を与えてくださっています。

ですからイエスに従うということがらもこの悔い改めから始まるのです。
イエスの宣言が「悔い改めよ」という御ことばからあるように、私たちは日々この悔い改めによって何事も始まることを覚えてまいりましょう。自分を捨て、神の御恵みに一切を委ね、私たち自身もまた神の救いを告げ知らせる者として、イエスがそうであったように、私たちも罪人ではありますが、罪を赦された罪人として、この世で小さくされ、虐げられている人々、痛みを負い苦しんでいる人々、悩み悲しみの中に在る人々に救いは到来した、あなたの痛みを神ご自身が負ってくださっているという事を力強く宣言して歩んでまいりましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年1月20日火曜日

1月18日の説教

第一日課:サムエル記上3110()432
1少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。2ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。3まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。4主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、5エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。6主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。7サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。8主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、9サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。10主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

第二日課:コリント信徒への手紙Ⅰ61220 ()306
12「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。13食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。14神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。15あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。16娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。17しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。18みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。19知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

福音書:ヨハネによる福音書14351()165
43その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。44フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。45フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」46するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。47イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」48ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。49ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」50イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。51更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。


【説教本文】

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

本日読まれている福音に日課は、イエスがフィリポとナタナエルを弟子にする場面です。
おそらく、聖書を長年読んでいる人でも、この二人のことについてよく知っているという人は少ないことでしょう。と、言うのも彼らは、共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカには、12弟子をイエスが指名する時以外には登場しないからです。それくらいに非常に私たちにとって馴染みの薄い弟子たちの物語から、今日私たちに神が何を語りかけてくださっているのかご一緒に耳を傾けてまいりましょう。

さて、そのような中で登場する人物の中で今日見ていきたいのは、ナタエルという人についてです。
彼は、他の共3福音書では、バルトロマイという名前で登場します。と言いましても、これは二人の人物という事ではなく、マタイ、マルコ、ルカでは、彼のことを所謂、父親の姓が「トロマイ」で「バル」が息子と言う意味ですから、トロマイの息子という事です。いずれにせよ、ヨハネは、彼の名前を明確にナタナエルであると記したのです。

しかしながら、この名前が今日の福音において重要なことであると思うのです。
彼の名前の意味は、ヘブライ語で二つの言葉に分けられます。一つが「ナータン」であり、もう一つが「エル」です。
始めの「ナータン」は、与えるという意味があります。そして、後者の「エル」は、神という意味です。
つまり、彼の名の意味は、「神が与える」という事です。
名は体を表すという言葉がありますが、まさに彼は、この名の通り、彼自身イエスの昇天後大きな働きを成していき、神が与える事がらによって、宣教者として大きな功績を残します。

そういうナタナエルでありますが、それではこの時彼が何を神から与えられたのでしょうか。
それは、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人に偽りがない。」というイエスの言葉に在るのではないでしょうか。
始め、ナタナエルは、フィリポとの対話の中で「ナザレから良いものが出るだろうか」とフィリポが信じ、従った方のことを疑います。これは、当時の人から見るならば至極まっとうな考え方です。なぜならば、ナザレはガリラヤ地方の中でもさらに田舎の小さな村です。そのような所から、モーセの律法に記され、預言者が語る様な救い主が現れるとは、とうてい思いもよらないことなのです。

すなわち、彼が弟子として召しだされる時、疑いから始まっているのです。
翻って見て私たちも神を信じる時、そういった感情から入るのではないでしょうか。本当にこの人は救い主なのか。わたしの痛みや、悲しみを癒し、励ましてくださる方なのかという思いから入ります。
信じていい者かどうか、私たちはまず疑い、推し量ろうとするのです。

しかしながら、そのような私たちにイエスの眼差しがまっすぐに向けられているのです。なぜならば、彼がイエスを知る前からイエスはナタナエルを知っていたからです。
フィリポから話しかけられる前から彼が「いちじくの木の下にいるのを見た」と言っているように、イエスは、既に彼のことを知っていたのです。これは、偶然に彼のことを見たという事ではありません。

ヨハネ福音書において「見る」という事は「知る」という事です。すなわち、イエスの眼差しは、すでにこのナタナエルという一人の人に向けられていたということなのです。
そして、彼にはじめから弟子としての召命が与えられているという事を明らかにするのです。

私たちは、この眼差しになかなか気づくことができないのです。今日の第一日課で読まれているように、サムエルでさえ、その時、その声が神の声であるということに気づくことができませんでした。エリに教えられて初めてその声が神の語りかけであるということに気づかされます。
まさに私たちもこのサムエルのように、そして、ナタナエルのように、本当に見たり、聞いたり、教えられない限り神のことは知りえないと考えてしまいます。

しかしながら、神の声も、神の眼差しも実は初めから私たち一人ひとりに向けられているのです。
私たちが知ったから、教えられたから信仰が、祝福が与えられるのではなく、神は、既に神を知る前からこの私に恵みと祝福とを与えてくださっているのです。
このことに気づかされたナタナエルは「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」と信仰を告白します。「ラビ」すなわち先生という存在から、この神の眼差しによって、この方は「神の子」であるということに気づかされる、すでに自分が神に捕らわれていたのだという事を深く悟るのです。

そのようなナタナエルにさらにイエスは、恵みと祝福を与えます。
彼がイエスの偉大な出来事、しるしの目撃者となると言うのです。はじめからナタナエルのことを知っているという恵み以上の恵みが与えられるのです。
それは、何かと言うならば、十字架の贖いと、復活による永遠の命の約束です。そして、これをヤコブの夢での出来事を想起させながら、イエスこそが、神のみ国との通り道であるという事を顕かにしているのです。
つまり、この罪の贖いによる赦しと、永遠の命の約束は、主イエスと一体となることによって豊かに与えられるということを示し、パウロが言っているように私たちの体を神からの聖霊が宿る神殿とすることによって実現してくださっているのです。

ですから、私たちはまさに「ナタナエル」「神から与えられる」者なのです。この出来事によって私たちは召し出され、神の宿る神殿に作り替えられているのです。疑い、迷い、信仰を告白して尚、罪を犯してしまう弱い信仰者である私を神は神ご自身から来る恵み、すなわち十字架の贖い。それこそがパウロの語る代価です。これによって、「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」とされているのです。
だからこそ、私たちは、この世にあって主の栄光を現すために働いていきましょう。そして、この栄光とは、私たちが考えるような栄光ではありません。それは、十字架というイエスの苦しみを宣べ伝えるという事です。
この世にあって、これは馬鹿げていることのように映ります。人々が求めている事がらとは、全く違う出来事です。しかし、このイエスご自身の苦しみの中に、私たちの痛みや悲しみ、罪を癒し、慰める神の栄光があるという事を確信をもって宣べ伝えるのです。

困難なこともあるでしょう。しかし、私たちは、この十字架のイエス、ただ一点を見つめて歩んでいくのです。これがイエスの昇天後多くの弟子たちが、キリスト者たちが、連綿と宣べ伝え続けたことです。
この神の隠された恵みを私たちは明らかにされています。これを私たち自身も神の聖霊によって豊かに証しし、隠された恵みが、しかも何にも代えがたい恵みがそこに在ることを世に証しし続けましょう。
それは、あなたを知らないとは決して言わない方が居るということ、あなたの存在を知っている方が居るということ、神は苦しみを通して、あなたの苦しみを知っているのだということを宣べ伝えていきましょう。

ナタナエルは、後に宣教者としてこの神からの福音を宣べ伝え、最後は皮剥ぎの刑によって殉教していきます。非業の死です。しかしながら、彼はこの時から神が共に居て、私を捉えてくださっているということを覚えながら神の御もとに帰っていたのです。今の世、殉教という事はありません。しかしながら、この私の声は世の喧騒にかき消され、空しく響くだけという事もあるでしょう。そういう世です。けれども、声を押し殺してはなりません。高らかに神の栄光を現し続け、これからもこの地で神の福音を神の恵みと祝福に支えられながら宣教し続ける群れとして共に祈り合い、支え合い、愛し合いながら歩んでまいりましょう。


人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

1月25日の礼拝案内

主日の祈り
聖なる神様。光とすべて善きものをお創りになったみ声は、水の面に響いています。どうか私たちを恵みの中に浸し、み霊によって、あなたに従う者に造り変えてください。あなたと聖霊と共にただ独りの神、とこしえに生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:ヨナ書315節、10()1447
1主の言葉が再びヨナに臨んだ。2「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」3ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。4ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」5すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
10神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

第二日課:コリント信徒への手紙Ⅰ72931 ()308
7:29兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、30泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、31 世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。

福音書:マルコによる福音書11420()61

1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。16イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。17イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。18二人はすぐに網を捨てて従った。19また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、20すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

本日の讃美歌
はじめの歌317番|みことばの歌123番|
感謝の歌217番|聖餐の歌―番|終わりの歌354

説教題「イエスに従う」 竹田大地牧師
諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年1月15日木曜日

1月18日の礼拝案内

主日の祈り
慈しみ深い贖い主、主イエス・キリスト。あなたの言い尽くせない祝福と恵みに感謝します。私たちがさらにあなたを知り、心からあなたを愛し、日々あなたを誉め讃えてあなたに従う者となるように導いてください。主キリストよ、聞いてください。アーメン

本日の聖書日課
第一日課:サムエル記上3110()432
1少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。2ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。3まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。4主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、5エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。6主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。7サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。8主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、9サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。10主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

第二日課:コリント信徒への手紙Ⅰ61220 ()306
12「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。13食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。14神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。15あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。16娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。17しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。18みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。19知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

福音書:ヨハネによる福音書14351()165

43その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。44フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。45フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」46するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。47イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」48ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。49ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」50イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」51更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

本日の讃美歌
はじめの歌241番|みことばの歌231番|
感謝の歌234A|聖餐の歌205番|終わりの歌194

本日の説教「神の目撃者」 竹田大地牧師

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年1月9日金曜日

1月11日の礼拝案内

主日の祈り
聖なる神様。光とすべて善きものをお創りになったみ声は、水の面に響いています。どうか私たちを恵みの中に浸し、み霊によって、あなたに従う者に造り変えてください。あなたと聖霊と共にただ独りの神、とこしえに生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
本日の聖書日課
第一日課:創世記115()1
1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

第二日課:使徒言行録1917 ()251
1アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、2彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。3パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。4そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」5人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。6パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。7この人たちは、皆で十二人ほどであった。

福音書:マルコによる福音書1411()61

4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」9そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。10水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。11すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

本日の讃美歌
はじめの歌228番|みことばの歌250番|
感謝の歌164番|聖餐の歌―番|終わりの歌198

説教題 「霊による洗礼」 竹田大地牧師

諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。

2015年1月3日土曜日

1月4日の礼拝案内

主日の祈り
永遠の神様。あなたはこの世に私たちを生かし、愛のうちに祝福してくださいます。あなたの導きのうちに、み子と共に、この年の日々を歩むことができるように守ってください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

本日の聖書日課
第一日課:イザヤ書6016()1159
60:1 起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。2見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。3国々はあなたを照らす光に向かい/王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。4目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから/娘たちは抱かれて、進んで来る。5そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き/おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ/国々の富はあなたのもとに集まる。6らくだの大群/ミディアンとエファの若いらくだが/あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

第二日課:エフェソの信徒への手紙3112 ()354
3:1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。2あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。3初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。4あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。5この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。6すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。7神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。8この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、9すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。10こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、11これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。12わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。

福音書:マタイによる福音書2112()2

2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。6『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

本日の讃美歌
はじめの歌23番|みことばの歌109番|
感謝の歌103番|聖餐の歌207番|終わりの歌99

説教題 「博士たちのクリスマス」 竹田大地牧師


諸集会のご案内
◆毎週日曜日
ティーンズ礼拝(中高生向け礼拝) 9:30~
主日礼拝 10:30~
 ※ティーンズ礼拝・主日礼拝ともに、子どもから大人までどなたでも礼拝に出席いただけます。
 ※聖書・讃美歌は教会にも用意がございます。
 ※ご自分の聖書をお持ちになっていただいても構いません。

◆毎週水曜日(ただし第1水曜日を除く)
聖書を読む会 10:00~11:00
 ※詩編の学びを続けています。

◆毎月第1水曜日
シャローム学びの会 10:00~11:00
 ※女性会の学びの会ですが、どなたでも歓迎です。