「伝える義務」
主日の祈り
全能の創造者、生きておられる神さま、唯一にして三つであるあなたの栄光をあがめ、三つであり唯一のあなたの大いなる御力をたたえます。この信仰に堅く立ち、逆境の中で守り、ついには、御前にあって永遠の喜びと愛のうちに住まわせてください。いまも、そしてとこしえにいます、父、御子、聖霊なる唯一の神に祈ります。アーメン
詩編唱 詩編8編(旧)840頁
8:1【指揮者によって。ギティトに/合わせて。賛歌。ダビデの詩。】
2主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます
3幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。
4あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
5そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
6神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ
7御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。
8羊も牛も、野の獣も
9空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
10主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。
本日の聖書日課
第1日課:創世記1章1節-2章4節a (旧)1頁
1:1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。6神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。9神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。10神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。11神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。12地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。13夕べがあり、朝があった。第三の日である。14神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。15天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。17神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、18昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。19夕べがあり、朝があった。第四の日である。20神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」21神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。22神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」23夕べがあり、朝があった。第五の日である。24神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。26神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」29神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。2:1天地万物は完成された。2第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。3この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。4aこれが天地創造の由来である。
第2日課:コリントの信徒への手紙Ⅱ 13章11-13節(新)341頁
13:11終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。12聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。13主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
福音書:マタイによる福音書28章16-20節(新)60頁
28:16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
【説教】
今日与えられているみ言葉は、いわゆるイエスの宣教命令と言われているみ言葉です。そして、今日は三位一体主日という特別に名前の冠された主日を守っています。キリスト教の神は父と子と聖霊の三位一体の神を信じる信仰によって生かされています。この信仰に生かされているということを与えられたみ言葉から味わい、聴いてまいりましょう。
主イエスは、 私たちに「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と私たちに語り掛けます。権能とは、力です。それは、天と地の一切の権能です。では、その天と地の一切の権能はどこにあるのでしょうか。
そしてその権威とは、神から来るものです。今日の第一日課で天地創造の出来事が読まれました。この世のことがらを神が創造した御業です。
すなわち、この権威が神から与えられていることが明らかです。そして、その神の資質についてイエスは「父と子と聖霊の名によって」と語られています。神は父として、子として、聖霊として私たちに働きかけ、すべての人を弟子にしなさいと命じられています。私たちは他でもないこの神を伝える者として立たされているのです。
そして、裏を返せば私たちが今こうして毎週の主日に教会に集い神のみ言葉に触れ、聴いているということは、まさにこの主イエスの宣教命令に忠実に聴いてきた多くの主の弟子たちによって連綿と守られたことによるのです。このご命令がなければ私たちは今日、こうして神のみ言葉に聴くことの恵みに与ることは無かったでしょう。
そのような中で弟子たちが大切に人々に語り伝えたことが、神は父と子と聖霊の神であるということです。父なる神によって私たちの世が創造され、子なる神であるイエスの十字架によって罪からの救い、永遠の命が与えられていることを確信させ、聖霊なる神が先週の使徒言行録の聖霊降臨の記事に「霊が語らせるままに」とあるように神を語らせる力の源となってくださっているのです。
この三者三葉に働いている神は三つであり一人の神として私たちの内で働いてくださっているのです。イエスは、そのような神の働き、姿を証しし、その神が「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と語ってくださっているように、終わりの時までいつも共に在るという約束をしてくださっているのです。
ということは、世の始めから神が居まして、世を創造され、また主イエスを救い主として遣わし、聖霊を送ってくださったことを思い起こしながらこのイエスの約束を聴くとき、一つのことが明らかになります。
それは、この三位一体の神が初めから終わりまで人と共に居てくださり、その神の御手のうちに置いてくださっているということです。
神の姿かたちは今生きる私たちは見ることは適いません。しかしながら、信仰によってこの神の支配、神の時の中に置かれていることを信じる時、主イエスのこの約束が真実であるということに気が付かされるのです。その神からくる信仰の確信を全ての人々に神のみ名によって宣べ伝えなさいと私たちはこのみ言葉を聴くごとに、そして礼拝の時、最後に祝福を受け遣わされるごとに味わい知るのです。
私たちは、主のみ前には何も持たざる者でしかありません。もしかしたら語るべきことも分からないような存在です。しかしその主が、いつも共に在ることによって、私たちはその共に居てくださる方から、み言葉を受け、力を受け、主を証しすることの喜びをいただくのです。
何も持たざる者でしかなかった私たちは、神という方を証する大いなる神のみ業に置かれるのですから、それは大変驚くべきことです。
その主は、私たちには見えません。しかしながら、古の詩編作者は主なる神を思い起こしながら「主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。」とその威光を最大限の賛辞を送っています。翻って自分自身はどうでしょうか。主なる神に生かされ、神から主を証しする力をいただき、日々の営みを守り導いてくださっている主を思いながら、この詩編作者のような信仰に立っているでしょうか。
緩慢に過ごし、主に生かされているという当たり前のようでいて、当たり前でないことを深くとらえているでしょうか。主イエスの弟子たちは、この恵みを深くとらえていたからこそ、大迫害の中にあって命の危機に瀕してなお、主イエスは救い主であると人々に宣べ伝えることができたのではないでしょうか。主イエスの「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というみ言葉、天地創造の御業を信じ、与えられた信仰に刻み、初めから終わりまでいつも共に居てくださっている神が在るという信仰から来る確信に生かされていたに違いありません。
この福音に私たちも生かされています。そうであるならば、私たちもまた覚悟と勇気をもって世に主を証ししていく働きが与えられていると思うのです。なぜならば、私たち一人ひとりがそうであるように、もしくはそうであったように、父なる神のみ言葉と出会い、主イエスの十字架に示されている愛に癒され、励まされ、聖霊によって日々豊かにされていることに生かされている恵みを待ち望んでいる人々が世にはまだまだいらっしゃるからです。
あなたの命の初めから終わりまで神はいつも共に居てくださるのだよというメッセージに生きる力、喜びを与えられる人が居るはずです。世の中ではインターネット、ソーシャルネットワークサービス、携帯電話など、いろいろに便利になり、人との繋がりが容易くできるようになりました。一方でその中で孤立し、孤独を覚え、誰も本当の友が無いと思っている人がたくさんいることを様々なメディアを通して見聞きしています。それだけではありません。震災による孤独死などのニュースもまだまだ流れてきます。世には孤独が溢れているのです。
人との繋がりを生み出す器が、むしろ人を孤独に追いやっている現実があり、人知れず孤独の中で命を落としていく方々が居るのですから、私たちがこうして生かされている約束「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という主イエスのみ言葉が誰かを生かす福音になりえるのです。だからこそ、私たちはこの福音が鎮まることを許してはならないのです。語るのは、聖霊です。神です。そうであるならば、この神に信頼して私たちはいつまでも主を証しする道を歩んでまいりましょう。
今一度、父と子と聖霊の神によって生かされ、語り、「共にいる」という主の約束にあなたもあずかっているのだという福音を共に力の限り世に宣べ伝えてまいりましょう。主の福音にすべての人が生かされる時が必ず与えられると信じて歩んでまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。