今日から聖週間です。イエス様の十字架の日まで毎日礼拝をルーテル下関教会ではおこなってまいります。月曜日から木曜日までは午後2時から、金曜日は午後7時からです。
イースター礼拝は、16日(日曜)10時30分から執り行われます。
本日の聖月曜日礼拝の説教です。
「世界中に広がる香」
主日の祈り
神様、御子は苦難と十字架の道を選び取り、喜びと栄光へと進まれました。主イエスの十字架を心に刻み、その力と愛により、ついには喜びと栄光に与ることができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
詩編唱 詩編36編6-12節(旧)868頁
36:6主よ、あなたの慈しみは天に/あなたの真実は大空に満ちている。
7恵みの御業は神の山々のよう/あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
8神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
9あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
10命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る。
11あなたを知る人の上に/慈しみが常にありますように。心のまっすぐな人の上に/恵みの御業が常にありますように。
12神に逆らう者の手が/わたしを追い立てることを許さず/驕る者の足が/わたしに迫ることを許さないでください。
本日の聖書日課
第一朗読:イザヤ書42:1-9(旧)1128頁
42:1見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。
2彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
3傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。
4暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。
5主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ/地とそこに生ずるものを繰り広げ/その上に住む人々に息を与え/そこを歩く者に霊を与えられる。
6主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び/あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として/あなたを形づくり、あなたを立てた。
7見ることのできない目を開き/捕らわれ人をその枷から/闇に住む人をその牢獄から救い出すために。
8わたしは主、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さず/わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。
9見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に/わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。
第二朗読:ヘブライ人への手紙9:11-15(新)411頁
9:11けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、12雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。13なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、14まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。15こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。
福音書:ヨハネによる福音書12:1-11(新)191頁
12:1過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。2イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。4弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。5「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」6彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。7イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。8貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
9イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。10祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。11多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。
【説教】
本日から聖週間に入ります。毎日礼拝を行いながら、み言葉に聴き、神の御子、主イエスが私たちのために十字架に架かろうとしてくださる最後の道行きを共にいたします。
その始めの日に与えられたみ言葉は、ベタニアでマリアから香油を注がれる場面からです。このみ言葉から与えられている主イエスの受難と復活について共に聴いてまいりましょう。
マリアは非常に高価なナルドの香油をイエスの足に塗り、自分自身の髪でぬぐいました。この行為は、その人に対する最上の敬虔を表わす行為です。つまり、マリアは、兄弟ラザロの復活の奇蹟を目の当たりにし、いっそう主イエスこそがメシアであるという信仰を強くしました。
その方への敬愛と敬虔を自分自身のできうることの最上のおもてなしをもって応えていったのです。
ルターは、「心の底から他者の利益や誉れ、幸福に向けられているとき、行いは愛において行われているのである。」と語ります。ここに示されている行為はユダが指摘したように、300デナリオンで売って、貧しい人々に施しをする方が有益なように思えます。300デナリオンは、300日分の賃金に相当しますから、非常にこの油の価値が高いことを表しています。しかしながら、ユダの心は、貧しい人にではなく、利己心や損得勘定から来るものでしかありません。もっともらしいことを言いながらそこには、愛は存在していないことが福音に記されています。
しかし、マリアはそういうこの世的な損得ではなく、そして、利己心からくるのでもなく、イエスという方がどの様な方であって、主イエスの召しについて思いを馳せていたのかもしれません。どのような仕方かは分からなくとも、この方が私たちのために救いを成し遂げてくださるメシアである。そうであるならば、この方への愛と信仰とを表さずにはいられなかったのです。
また、この事がらに際して「家は香油の香りでいっぱいになった。」とあります。この事がらをアウグスチヌスは「良い噂が世界中に広まった。」のだと語っています。すなわち、主イエスの贖いの十字架の恵みを世界中に響かせる器として、マリアが用いられ、主イエスの十字架の恵みを表した信仰者とされたように、私たちの主イエスへの信仰もそれとなるのです。
パウロは「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」と語られているように、私たちはキリストの十字架の恵み、愛を香らせる者とされ、主イエスを世に証しする者として立てられているのです。
神の愛、恵みを伝える最上の出来事は、主イエスの十字架です。この十字架を信じる信仰が、神の愛、恵みを世界中に告げ知らせ、人々をキリストのもとへと導く香なのです。この信仰が私たち一人ひとりに与えられています。聖週間にあって、この香、すなわち信仰が十字架を通して与えられていることを心に留めながら歩んでまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。